結婚の決め手。スピード婚だけど、ビビビと来たわけではない…

「この旅もあと3日か…」

そう思うと何故か涙が溢れてきた。

「帰りたくない…」

日本にしばらくいるという環境になる直前。いつぞやの帰国前とは何かが違った。




日本と海外で半々の生活

私達夫婦は、昨年7月から1ヶ月の半分を海外と日本で生活するというスタイルを続けてきた。

2016年4月。お店をオープンする前の買い出しに行くとき中野に向かいながら話したのは、「3年後にはお店を辞めて海外に移住しよう。」ということ。

しかしいざお店を初めて東京での生活が始まると、息苦しくなった。

そしてオープンして半年後、初めて1週間お店を閉めてタイに行った。当時はその1週間という期間が精一杯だった。

私にとっては初めてのタイ。全てが新鮮で楽しかった。帰ると同時にやっぱり早く海外に住みたいと再び強く思うようになった。それは旦那も同じようで、次の年からは日本と海外、半々で生活できるようにしようと決めた。

そしてその生活を昨年の7月にスタートして、現在10カ国目で再びタイにいる。

今日で一日過ごすのは最終日。何だか泣けてきた夜から2日経った。なぜ涙が流れてきて寝れなかったのか分からない。なにか悲しいのか、不安なのか、怯えてるのか、自信がないのか、自分にはよくわからなかった。

自分の夢が二人の夢にできるかどうか

海外に住みたい。二十歳頃からの夢だった。

イギリスに語学留学し、帰国後美容師として就職。それからもイギリスのワーキングホリデーを狙って何年もトライし続けた。どうしてもイギリスに行きたかった。

だけど気づけばもう27歳。チャンスは残り数回に。「今年落ちたらもう他の国に行こう。」そう決心し、結果落選。NYに近いという理由だけで、カナダ・トロントへ行くことに決めた。

当初の予定ではしばらくワーキングホリデーで違う国に行き、ワークVISAをもらうかなんとかして日本には帰らないつもりだった。

だけどカナダに行って2ヶ月が経った頃、色んな偶然が重なって旦那に出会った。

出会って一週間で付き合う事になった。だけど、『そうしたいけどそれでいいのか。』恐らくお互い同じ気持ちだったと思う。

彼は世界一周の途中。私はやっとワーホリで海外に住み始めたところ。

翌日には離れ離れになって次はいつ会えるか分からない。そこで私達が選んだのは「結婚する」という選択肢。なんでそうなったのかよく分からないけど、それがその時考える二人のベストだったんだと思う。今思えば、結婚願望のない二人がその選択をした事がすごく不思議。

だけど、一緒にいたかった。

そしてその後アメリカに行った彼に会いに行くために急遽オフをもらい、ラスベガスで合流。出会って2週間。

グランドキャニオンに行く7時間ものバス。行きも帰りもずーっと話してた。

そしてそのラスベガス最終日に籍を入れた。

といってもネバダ州で結婚許可書みたいな、別れても日本で☓がつくわけではない。

今でも「なんで結婚したの?」と周りによく聞かれるけど、お互い「ノリでw」と答える。

ラスベガス後は、彼が旅のプランを変更してカナダに2ヶ月住んでくれた。そして日本に帰る事を決め、一緒にお店をしようと約束した。

次は私の番。ワーホリを半年で切り上げて日本に帰ることに決めた。正直すごく悩んだ。最後カナダで飛行機に乗るまで、途中で辞めていいのかと考えてた。

だけど、「ノリでw」と笑いながら答える理由ともう一つ、「この人なら」と思えた理由があった。自分の夢が二人の夢に出来るかどうかということ。私にとって、考えてなかった結婚というものが突然来たときに、唯一譲れない条件は職業でも、年収でも、ルックスでも、学歴でもなく、お互いの夢を共有できるかという事かなと思った。

「この人となら、今辞めても必ずまた海外に行ける。いつかは移住する夢も叶えられる」

そう思った気持ちと、一緒にいたいという気持ちを信じて帰った。

結婚の決め手をググってみたら色々と悩む人の投稿を見たけど、自分の大切なものを一緒に大切にしてくれる人がどうかというのを第一に考えてみたらいいんじゃ…と個人的に思った。

お金が大事ならお金。

家族が大事なら家庭を大事にしてくれる人。

仕事が大事なら仕事を優先させてくれる人。

夢が大事なら夢を一緒に叶えれる人。

まだ結婚して1年半のペーペーが偉そうにそんな事を思った。

「ビビビとくるってやつ?」って言われたりもするけど、なんかもっと穏やかなもんだった。考える時間もなかったけど、結婚なんてノリと勢いがないと私は一生してなかった気がする。

私の夢は二人の夢になり、旦那の夢も二人の夢であってほしい。今の一番は海外に移住する事。

東南アジアを旅した7ヶ月

私にとってはほとんどが始めていく国。そして初めての経験や感情を持つ貴重な時間になった。

1カ国目。タイ

プーケットのビーチで初めて外で髪をカットした。

ビビる私に自分のシザーケースを差し出す旦那の気持ちが嬉しかった。カットできる様になりたい!そう思ってまた勉強し始めて良かったと思った。

バンコクでカットしたドライバーのおじさんがトゥクトゥクに乗せてくれた。「どうせ料金取られるんじゃ…」と半信半疑の私にビールまでご馳走してくれた。やみくもに人を疑うことは自分を恥じる事だと思った。

2カ国目。フィリピン

子供の多いフィリピンでは、子供達とたくさん関わることになった。素直な気持ちを伝える事の大切さを子供達に教えられた。

子供だけでも遅くまで遊んでたり、親に連れられ屋台の周りで寝る子供。生き抜く強さを感じた。

貧富の差が激しいこの国で笑顔で生きる子供達。

色んな事を考えさせられた。

旦那さんに愛しそうな顔で話しかけるヘイゼルと友達に。テント生活でも友達と家族と暮らして楽しそうに生きる人生がそこにあった。

初めて肩を並べてカットしたのもフィリピンだった。

とにかく全てが濃い毎日だった。

3カ国目。ベトナム
初めてノリで行き先を決めてバスに乗り込んだ。バンメトートという田舎町では、言葉が全く通じない人達と乾杯を。

初めて外国人と話すという学生さんにも出会った。

言葉が通じなくても、彼らのように自分の住む場所に来た人を歓迎して乾杯できるように、いつか何処かで誰かに何かを返したい。

4、5カ国目。シンガポール・マレーシア

見事に写真がない!!会社を起こすために旅を一週間で切り上げ帰国。

シンガポールであった旦那の師匠トモさんにいろんなアドバイスをもらった。

出会うべく人に、出会うタイミングが人にはあると思った。

6,7,8カ国目。香港・カンボジア・フィリピン

シェムリアップではじゅんくんのもう一人の師匠アキさんに再会。現地で子育てに励むご夫婦に色んな事を教えてもらった。東南アジアで子供を育てる事は1年前の自分では「無理でしょ…」なんて考えだったけど、今ではその環境で子育て出来ることを羨ましと思うようになった。たくましい奥さんをすごく尊敬する。

田舎町コンポントムではまたまた英語が通じないおじさん達と3日連続屋台の前で一緒に飲んだ。どこに行っても同じ様な都会にはほぼ興味がなくなった。

フィリピンではヘイゼルに再会。

誰かに再び会うために暑いなか何時間も探し回ったのなんて初めてだった。マニラ湾の側でみんなで飲んだ。
9,10カ国目。タイ・ラオス
今回の旅。

旦那のご両親と約4日間タイを観光。家族と過ごす時間の大切さを思った。いつかしようと思う親孝行は、今するべきなんだと思う。

去年お義父さんに言われた「旅をしらっせー」という言葉。旅をしなさいと私達に言ってくれた。なんだか私はこの一言に心が救われた。「今は旅をする時なんだ」そう思った。タイに一緒に来れて良かった。

そしてラオス。

何もない場所で、ただ向こうにはタイという国が見える。自分達のこの7ヶ月を考えた。

何か気付きがあっただろうか、何に刺激を感じただろうか。

ただ楽しかったねでは終わらせれない。次は日本に帰って何に活かせるだろう。

たくさん色んなご飯を食べた。それを自分の味覚を頼りに再現出来ることでもいいのかもしれない。

家に洗濯機があるからと、ランドリーとして商売してるところもあった。そんな風に仕事はもっとシンプルでいいのかもしれない。

想像を通り越して、東南アジアは進んでる。「日本はどうなる…?」そんな事考えた事も無かった。

そして再びバンコクに帰ってきた。

昨夜はカオサンで3時まで飲み明かしながらこの旅のいろんな項目ベスト3みたいなもんを二人で話した。二人共答えがほとんど同じ。

一緒に旅をできて良かった。

涙が止まらなかったのは、

行き先も分からない道を歩きながら何時間も話したり、ビール片手に夕日を見たり、そんな時間がしばらくなくなってしまうのが寂しかったのかもしれない。

日本に帰って自分が何か成長できるか不安だったのかもしれない。

帰って色んなことがうまくいくか、またたくさんケンカするんじゃないかと心配だったのかもしれない。

だけど出会ってからの色んな事を思い出すと『大丈夫。』と思えた。一緒に帰って、また一緒に日本を出れる。この7ヶ月、旅中一緒にいた分、もう一生分くらいのケンカはしたんじゃないかな。

安心して眠りにつき、翌日旦那に泣けてきて寝れなかったと話すと、「どうしたの?」と言う事もなく、「酔っ払ってたんじゃないの?」と言われた。

ま、そのくらいで良いのかも。色んな事を不安に思ったり悩むだけ、時間が無駄。やる事は見えてるはず。

そして旅することが終るわけじゃない。きっとまたすぐ行ける。

あと一日。

色んな想いを胸に、タイを満喫して日本に帰ります。