父の還暦祝いを家族で過ごして。今あなたは誰の為に生きてますか?

キャンベルの日常

昔の私はひねくれていた。

ヤンキーでもギャルでもないけど、中身だけ1人前にひねくれていた。

口を開けば文句ばかり言っていた。

そんな私を育ててくれた父が還暦を迎えた。

私の家族、浅沼家は五人家族。

長かった反抗期。毎日のように暴言をぶつけてた。専門学校を卒業して、1年半経って実家に帰ってからやっとまともに母親と話すようになった気がする。

学生時代はあまり話すこともなかった父。海外に行く前くらいからやっとお酒を呑みながら話すようになった。

小さいときは髪の毛を引っ張り合ってたくさんケンカをしたけど、今では1番の親友である姉。私とは真逆の性格で、優しくて幸せな家庭を築くことが夢のような女子。

野球少年の弟。二人の姉にパシられて面倒見が良くなったみたいで、友達も多くとても優しい子。何度もオススメしてるのに海外には行ったことがない。

同じ家庭で育ったのに兄弟って全然違うから不思議。
二十歳をこえてからは、イベントを姉が企画して家族が集まるようになった。

(両親の結婚30周年の時)

今回父親が還暦祝いを迎えるにあたり、お祝いしようと姉から声がかかり、マカオ旅行の前に関西に帰った。

もう一つの目的は、大好きなおばあちゃんに会う為。小さい頃は父方のおじいちゃんおばあちゃんと毎週末のようにたこ焼きを食べながらすごしていた。私のおじいちゃんはいつも口癖のように言っていた。「美奈子とナオミの結婚式に出るのが夢だ」と。

私が中学2年生になった春、おじいちゃんは肺ガンで他界した。

おじいちゃんのその夢は叶わなかった。

来月の山梨での結婚式の前に、せめておばあちゃんに、結婚したよ、と旦那さんを会わせたかった。

私のおばあちゃんは数年前から痴呆が進んでしまっている。紹介したところで忘れるだろうし、名前も覚えれないかもしれないけど。

私自身会うその瞬間まで、覚えていてくれてるのかすごいドキドキした。

会った瞬間おばあちゃんは

「なおちゃん!!元気やった??」

と声をかけてくれた。

涙が自然と溢れてきた。

お祝い会は両親、弟、姉家族とおばあちゃんとじゅんくんと私。

食事をしながら他愛もない会話をし、父には兄弟からプレゼントをあげました。

(姉の手作りのくす玉)

(可愛すぎる甥っ子。ビール持ってきてくれる)

淡々と過ぎていく普通の食事の時間。
60年の区切りに父は何に幸せを感じて過ごしたのだろうか?

私の中で一つの疑問が生まれた。

家族が集まった事、家族が増えた事、いつもより豪華な食事、みんなでわいわい過ごした時間、、、父は何かに幸せを感じてくれたのだろうか?

(清水家と桑原家)

翌日、色紙に貼ってお父さんに渡すからと姉から1枚の紙を渡された。

何を書こう、、、
父のお祝いで帰ったはずなのに、この時改めて父との思い出を思い返した。

朝早く出ていき、夜も帰ってくるのは遅く、小さい私には何の仕事をしてるのかよく分からなかった。長い時間会社に行って働いてるのは分かった。

週末には難波に遊びに連れて行ってくれたり、夏休みにはよく三重に旅行に行った。

父には自分の為に使う時間があったのだろうか?

子供が大きくなって手を離れたら、おばあちゃんの介護が始まった。

父は誰の為に生きてきたのだろうか?

学生時代私が言ったひねくれた言葉は

「友達の家みたいにデカイ家に住みたい」

「北海道とか沖縄に旅行に行きたい」

「飛行機に乗りたい」

しつこく言っていたと思う。父が長い時間働いて買った家、楽しませようと連れて行ってくれた旅行。大人になって働くまで、どんなに大変なことか分からなかった。

母親に対しても同じ。働きながら家事をすることの大変さが初めて分かった。これに×3で子供がいるとか想像もつかない。

子供のときにどんなに生意気なことを言っても大人にならないと分からないように、同じ立場にならないと気持ちなんて分からないと、大人になっても同じだと思った。

つい最近、普段の会話の中で言われてずっと引っかかっていた言葉がある。

誰の為に生きてるの?自分の為でしょ?

私は即答で、そう。とは言えなかった。

私は自己中でわがままだから、もちろん自分の為ではあるけど、今はじゅんくんの為でもある。自分の為だけに生きてきたけど、唯一自分が変わった点だと思う。

私がいなくても生きていけるだろうし、何でも一人でできる人だから、そのままでよかったのかもしれないし、例えばじゅんくんが自分の為だけに生きてると言っても別にそれでいいと思う。

私は結婚してこれから一緒に生きていくなら、私がいることで何か少しでも出来る事が増えてくれればいいと思う。そうすることが私は自分の幸せだし、自分の為だから。これは私の持論。

これがいけないことなのか、ダサい事なのか、ずっと引っかかっていた。

最近言われた1言と、私の知ってる29年間の父の人生を思い出して、何かがリンクした。

きっと父は家族の為に生きてきたかもしれない。けど、それが自分の為だからだったのではないのかと。

昔思った。「お父さんみたいな人とは絶対に結婚したくない。」と。

でも今私が知る父は、カッコイイ。

大変なことがたくさんあるのも知ってる。でもその中で、自分の趣味を見つけ、母をデートに連れていき、孫と遊び、仕事帰りにはいい感じの立ち飲み屋を見つける。

頑固で、常に楽しいことを探して、旅行に行くのが好きで、チャレンジしたい事は何でもやってみたらと言う。

気付けば自分が選んだのは父と似てるような人だった。

誰かの為に生きる事って、そんなに悪い事じゃないと思う。誰かの為が、自分の為になる生き方を私はこれからもしていきたいと思った。

関西を離れる日、父とじゅんくんと三人で裏難波の立ち飲み屋に行った。

「お母さんとの1番の大喧嘩は何やった?」

ずっと聞きたかったけど聞けなかった事を聞いてみた。
なんと答えは「カレーうどんのゆるさ加減」

ありえない。

私は学生時代数々の夫婦ゲンカを見てきた。

なのに父の1番の大喧嘩はまだ私が生まれる前に起きた、カレーうどんのゆるさだったとか、、、

けどなんか笑えた。

まだまだ自分の事で精一杯で、喧嘩してばかりだけど、いつかは父のように。

1番の喧嘩はお好み焼きの焼き方だったと言って笑えるような夫婦になりたいな。

お父さん、還暦おめでとう。

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